【出光美術館】開館50周年記念 大仙厓展 ―禅の心、ここに集う
2016年10月1日(土)~11月13日(日)
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/index.html
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/highlight.html
出光美術館の大仙厓展に行きました。コレクション130点以上、全六章立ての展覧。福岡市美術館、九州大学文学部のコレクションと併せた会は1986年以来なのだとか。仙厓和尚の禅アートからにじみ出る徒然なるユーモアは、KAWAIIな側面で楽しめるのはもちろんだけど、それ以上の感銘や得られるものも多く、見逃す手はないと思います。代表作であり重要作である「指月布袋図」「円相図」「○△□」は第三章で展示。その名の通り布袋が月を指している「指月布袋図」には、月(=悟り)は描かれておらず、添えられた「あの月が ほしくばやろふ 取て行け」という句がキマっているので、ユルい中にもめちゃくちゃシビれるものがあります。「円相図」は悟りの境地を円の一筆描きで表現した禅画のスタンダード。その仙厓ヴァージョンは「これくふて 御茶まひれ (そんなものは食べてしまって 茶でも飲もうや)」という一節が添えられた、これもまたある種の境地に至ったもの。ほっこりします。また、「○△□」の英題は「The Universe」となっているのですが、これは稀代の仙厓コレクターであった出光佐三がこの画から宇宙を感じたという印象を、知己の仏教哲学者である鈴木大拙が汲み、海外での展覧会に際して英題として提示したという経緯があったそうな。興味深いエピソードです。
仙厓和尚のもとには画の依頼が絶えず来たので「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく (人が来るたびに紙を置いていかれる ワシん家はトイレかいな)」と狂歌でボヤいていて、1832年、83歳のころに一度絶筆宣言をした(石碑も彫った)のだけども、それでもリクエストは絶えず、1837年に88歳で没するまで描き続けたとのこと。人柄がしのばれるというか、「しょうがねえなあ」と苦笑いしながら、それでもまんざらでもなく描いてそうなイメージがなんとなく浮かんできます。ちなみに、絶筆宣言をした年には海岸に上がったトドを目撃していて、それを描いた画が残されていたり、旺盛な好奇心はずっと持ち続けていたもよう。また、蛸の着色画「章魚(タコ)図」は東京では初公開なのだそうな。
不敵な笑みをうかべたカエルが描かれた「坐禅蛙画賛」は、座禅だけで悟りがひらけるなら、常に坐しているカエルはとっくの昔に悟ってるはずだが、そうはなっていない(だから日々身を入れて励みなさい)という、モチベーション鼓舞の画。“きゃんきゃん”の書き文字も添えられた「狗子画賛」は、ヒモが結ばれている杭が抜けかけていて、犬はいつでも逃げられる状態にあるのだけれども、犬には逃げるそぶりがない。転じて、くびきから逃れられていない人間、という含意があるみたいです(果たしてそうかしらん?)。色々おごってくれそうな近所の気さくなあんちゃんにしか見えない「文殊師利菩薩図」(※10月30日までの展示)はやたらと親近感があるし、「達磨画賛」の「達磨忌や 尻のねふとが 痛と御坐る (ケツのできものが痛え)」というボヤきめいた句はある種のパンチラインだし、「よしあしハ 目口鼻から 出るものか」(五感でとらえられるものが果して本質なのであろうか)と、茂ったしゃれこうべで問うた「頭骨画賛」など、イチオシ仙厓アートは枚挙にいとまがないです。今回の展示ラインナップにはなかったのですが、ほかにも、牛若丸の鞍馬山での修練の様子を描いた「牛若天狗図」という作品があります。天狗の長い鼻先に牛若丸が片足一本で立っているという構図なのに、天狗が「牛やん あぶなか」と博多弁めいたセリフをしゃべっていてめちゃくちゃ味わいがあるので、図録や解説書などでぜひ見ていただきたいですね。
「指月布袋図」をあしらった仙厓ふきん(800円)、思わず買ってしまった。