難波氏がSF同人「宇宙塵」に入会したのは中学生でしたが、それより先に入会していた「鉄腕アトムクラブ」と違って、こちらは同年代のメンバーがほとんどいなかったということで、難波氏の顔はすぐに小松左京氏や手塚治虫氏らメンバーに憶えられたのだとか。SF仲間が作家の道に進むなかで、難波氏はミュージシャンとして活動を展開していくわけですが、ある日、後にビーイングを創立する長戸大幸氏からソロアルバム制作の話がもちかけられます。これが、'79年にリリースされ、織田哲郎や亜蘭知子といった多数のビーイング関係者も参加した1stアルバム『SENSE OF WONDER』となるのですが、このアルバム制作当時の裏話も披露されていました。SF作品に捧げた楽曲ばかりという趣味に走った内容ゆえ、関係者からは「どういうアルバムなのか?」と訊かれたこともあったとか。
また、ジャケットのイラストを手塚氏が描かれているのですが、この時の話が面白いものでした。手塚氏へのオファーはあっさりと通ったのはいいのですが、当時の氏のスケジュールは相当過密であったため、いつまで経ってもイラストがあがってこなかったため、難波氏自ら高田馬場の手塚氏のところへ直接取りに行くことにしたそうです。手塚先生の原稿を待つ各社の編集者(いわゆる「手塚番」)の詰め所のようなところに通されたものの、タバコをふかし、マージャンで時間をつぶしつつ今か今かと仕上がりを待つ人たちのピリピリした雰囲気に気圧され、スタッフに別室で待てないかと難波氏が訪ねようとした矢先、手塚氏が部屋に入ってきて「ああ、今描くから!」と言われたんだそうな。かくして、難波氏は無事にジャケットを受け取ることができたというわけです。ちなみにその時、現在の浦沢氏の担当編集氏が原稿待ちでその場に居合わせていたそうで、「ミュージシャンっぽいロン毛の兄ちゃん」が入ってくるのを目撃したのだそうな。手塚氏のジャケットイラストは、一見すると氏らしくないタッチに見えたので、レコード会社の人たちはやや困惑していたそうですが、自分は手塚氏の心憎いはからいが感じられて感激した、と難波氏。CD再発盤では小さく潰れていて見えないのだけれども、LP盤ジャケットをよく見ると、手塚氏の虫マークがあることがわかるそうです。浦沢氏が自ら持参されてきた『SENSE OF WONDER』のLP盤をプロジェクターで写しながらトークが進んでおりました。
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また、浦沢氏が多大な影響を受け、自らの「心の師匠」として尊敬する坂口尚氏の『電飾の夜23:59発』の単行本も持参されておりました。自分がいかに坂口氏の作品に影響を受けたかということに始まり、巻末に掲載されている坂口氏と難波氏の対談にまつわるエピソードを直接難波氏に尋ねられるという一幕も。「坂口さんには、作品の雰囲気そのままの人柄のよさを感じました」と難波氏。
途中、難波氏の即興演奏に合わせて浦沢氏がイメージドローイングをするという企画もありました。これが凄くて、思わず絶句してしまいました。難波氏のピアノと浦沢氏のイラストが見事にシンクロするという、両者のクリエイティヴィティを味わえるセッション。浦沢氏は三点のイラストを描かれ、それぞれ、渓谷をバックに佇む女性、ベンチに座る一人の男(背後にUFO)と謎の老紳士、窓辺の女性に向かって外から視線を送る花束を携えたロボットという構図でありました。