2017年12月24日日曜日

2017年ベストブック20選+α

 改めて振り返ってみると、今年は小説よりもノンフィクションに印象的なものが多く、なんとなく「ゲーム」が個人的にキーワードになっていたようにも思いました。『最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス』(これは昨年刊行ですが)、『テトリス・エフェクト』という秀逸なノンフィクション。チップチューンの黎明から現在までを一気に見通した『チップチューンのすべて All About Chiptune』。そして、レビューという形で100年の架空のゲーム史を見通した『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』と、歯ごたえのある書籍の刊行が続いたことが嬉しい。小説では、『13・67』『ヒトラーの描いた薔薇』が圧倒的でした。前作は終始一貫した高密度のエンタメ。後作は怒りと優しさがにじみ出た、ハイアベレージの傑作短編集。


《過去のベスト》
2012年ベスト ▼2012年裏ベスト
2013年ベスト
2014年ベスト
2015年ベスト
2016年ベスト




陳浩基『13・67』
ハーラン・エリスン『ヒトラーの描いた薔薇』
ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 消滅遊戯』
赤野工作『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』
hally(田中治久)『チップチューンのすべて All About Chiptune』
マイケル・ウィットワー『最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス』
ダン・アッカーマン『テトリス・エフェクト』
佐藤秀彦『蒸気波要点ガイド』
和嶋慎治『屈折くん』
中西敦士『10分後にうんこが出ます』
吉田勝次『素晴らしき洞窟探検の世界』
清野茂樹『1000のプロレスレコードを持つ男』
ジョン・ル・カレ『地下道の鳩 ジョン・ル・カレ回想録』
プルタルコス『新訳 アレクサンドロス大王伝』
ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『アレフ』
ジーン・ウルフ『書架の探偵』
ダグラス・アダムス『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』
ラフカディオ・ハーン『復刻版ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』


▼陳浩基/天野健太郎[訳]
『13・67』


13・67
13・67
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陳 浩基
文藝春秋
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 言葉にならないくらい素晴らしかった。本格ミステリ、社会派ミステリ、警察小説の興趣に富み、2013年から1967年までの約50年間の香港の激動を駆け抜けた一人の「天眼」の刑事を逆年代形式の連作で描き出した香港ミステリの大傑作。連作短編集という形式だと一編や二編ほど他愛のないエピソードがあっても多少は誤魔化せるのだけど、『13・67』が凄まじいのはそこに寄りかからず、六編すべてが趣向の異なる骨太の傑作であり、特に前半三編は鉄壁。それでいて逆年代形式の連作にした意味が1967年を描いた最後のエピソードで効いてくるだけでなく、もう一押しがある。因果の物語としても巧緻で、重厚な残響がある。スレスレの策を敢行している場面が多々あるのだけど、逆にいえばそれだけ正攻法では突破できない複雑化した至難であるということと、エンターテインメントとしてのケレン味に直結していてうならされる。冒頭のエピソードはあらすじを一見すると荒唐無稽の極みに見えるのだけど、読み終えた時・連作の全てを読み通した時で二度、異なる感慨をおぼえるのだがらしてやられたなと。構想にあたって横山秀夫の連作警察小説集『第三の時効』を参考にしたということで腑に落ちたのだけど、さらに作品の根幹のひとつに香港警察の集団汚職があり、著者自身も非常に思うところのあったテーマだったというのがコクを与えている。ウォン・カーウァイが本作の映画化権をとったいうことで、ぜひともこぎつけてほしいと思ったのだが、映画化するなら警察小説的趣向が特に強い1989年の「テミスの天秤」か、香港を奔走する1967年の「借りた時間に」あたりかな、などと今から妄想している。


「ウォン・カーウァイが映画化権獲得 香港発の警察小説『13・67』が世界へ」
「「中国人」と呼ばれたら嬉しくない、「香港人」の考え方――注目のミステリー『13・67』著者・陳浩基インタビュー」
(from 文春オンライン)



▼ハーラン・エリスン/伊藤典夫・他[訳]
『ヒトラーの描いた薔薇』


ヒトラーの描いた薔薇 (ハヤカワ文庫SF)
ハーラン・エリスン
早川書房
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http://camelletgo.blogspot.jp/2017/04/harlan-ellison-hitler-painted-roses.html
必殺作品のオンパレードだった第二傑作集『死の鳥』からさすがに一段落ちるかなという心積もりでいたし、作品的には現代のおとぎ話、普通小説の割合も増えているのだけど、ごめんなさい、やっぱりハイアベレージの傑作ぞろいです。ぐうの音も出ないくらいにノックアウトを喰らった。



▼ロジャー・ホッブズ/田口俊樹[訳]
『ゴーストマン 消滅遊戯』

ゴーストマン 消滅遊戯
ゴーストマン 消滅遊戯
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ロジャー・ホッブズ
文藝春秋
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 卓越したクライム・スリラーの書き手の二作目にして遺作。凄腕に屠られる凄腕、という冒頭シークエンスで一気にツカむ。「二作目のジンクス」は易々と乗り越え、“通過点”としてみせた見事な一作だった。それだけに氏の夭折が残念でならない。“私”とアンジェラの、久々に再会したとは思えぬコンビネーションも見どころである一方、迅速かつ無慈悲に致命傷を与えつつ、「あんたにできることはもうない。リラックスしろ」とやさしい言葉で相手に絶命を促す必殺仕事人“ピアニスト”ローレンスのデンジャラスな造型もよかった。一筋縄ではいかない者同士の犯罪美学と犯罪美学が火花を散らす息詰まるやりとりは今回もあって、前作では“私”が『アエネーイス』についてアツく語る姿が印象的だったが、今回は『オデュッセイア』を引き合いに気の利いた話をする“私”が拝める。生前のホッブズ氏のブログでの記述通り、ニーナ・シモンの「シナーマン」は確かに『消滅遊戯』にのっけから登場していた。「君が南シナ海で大規模な強盗を計画しているなら、この曲を流してくれよな」とは氏のコメント。第一作『ゴーストマン 時限紙幣』の文庫版も今年刊行され、短編「ジャック:ゴーストマンの自叙伝」が併録された。『アエネーイス』について熱っぽく語っていた理由が、この短編を読むとわかるようになっているのも個人的に嬉しいポイントでしたね。


 著者は亡くなる前にゴーストマンの「自選サウンドトラック」を編んでおりました。幻の第三作のイメージサウンドトラックもあります。
http://camelletgo.blogspot.jp/2017/04/ghostman-image-soundtrack.html



▼赤野工作
『ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム』

ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム
赤野 工作
KADOKAWA (2017-06-30)
売り上げランキング: 166,385


 存在しないものをさも実在するかのように語り、なおかつそれを評論という形で解体してみせるという難業をサラリとやってのけたのはポーランドの作家スタニスワフ・レムですが、「The video game with no name」は、そのポップな変奏が詰まっているといっても過言ではないと思います。「2115年4月」にレトロゲームレビューサイトを立ち上げた書き手が、古今東西の「低評価を受けた」ゲームを次から次へと饒舌に紹介してゆく。架空のゲームカタログでもあり、100年のゲーム未来史を描き出してもいる。そして随所にはさまれた雑記からは、この未来のレビュアーが人生というゲームの転機を迎えていることもうかがえ……。ゲームに全てを捧げ、遊び続けた男の一代記とも呼べる、業に愛にまみれた一冊。「素晴らしい、素晴らしすぎる、人生はやはりゲームであるべきだった。」

「The video game with no name」
(from カクヨム)

「“未来のゲームをレビューするという新たなSF小説”は既存の価値観を見つめ直す人間から産まれた ── 『The video game with no name』作者「模範的工作員同志」インタビュー」
(from 毎日ムキムキ)



▼hally(田中治久)
『チップチューンのすべて All About Chiptune ゲーム機から生まれた新しい音楽』

チップチューンのすべて All About Chiptune: ゲーム機から生まれた新しい音楽
田中 治久(hally)
誠文堂新光社
売り上げランキング: 170,547


 電子音楽の前史から始まり、国内外のチップチューンシーンの黎明期から過渡期といった「過去」の網羅的掘り下げ、そして、「現在」のチップチューンシーンを盛り上げる国内外の数々のアーティストのインタビューも盛り込んだ、本格的チップチューン史。こういう本が欲しかった。末永くお付き合いできる充実の資料本。


「コナミの音楽は教科書、GBAは再評価すべき…日本の「チップチューン」立役者が語る、音楽史に無視された“ピコピコ音”の電子音楽史【『チップチューンのすべて』hally氏】」
(from 電ファミニコゲーマー)

「チップチューンとはなにか?」
(from よみもの com)



▼マイケル・ウィットワー/柳田真坂樹、桂令夫[訳]
『最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス 想像力の帝国』

最初のRPGを作った男ゲイリー・ガイギャックス〜想像力の帝国〜
マイケル・ウィットワー
ボーンデジタル (2016-06-30)
売り上げランキング: 135,302


「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の生みの親の生涯を、本人や関係者の証言や文書から「リプレイ」した一冊。度重なる訴訟沙汰や友人・家族との関係など世知辛い話も多いのだけど、面白かった。再構築されてゆくゲイリーの一代記と並行する形で、ダンジョン・マスターとプレイヤー(従者アーゲイリー)のやりとりが各章に挿入されているのがまたユニーク。著者のマイケル・ウィットワー氏はこの二重の「リプレイ」という趣向で、「物語かたり」であったゲイリーの物語を語っている。



▼ダン・アッカーマン/小林啓倫[訳]
『テトリス・エフェクト 世界を惑わせたゲーム』

テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム
ダン・アッカーマン
白揚社
売り上げランキング: 11,209


 テトリスの関係者たちの奮闘に迫ったノンフィクション。この本については改めて紹介したいなという思いがあります。冒頭20ページのテキストや訳者あとがきなどが出版社のサイトで読めるのでどうぞ。とりあえず、第5章でヘンク・ロジャースが「ザ・ブラックオニキス」を売り出したころの話がかなり面白くて一気に目が離せなくなったし、終盤の章で、テトリスの権利関係をめぐってソ連に乗り込むくだり、各社の交錯する思惑など、非常にスリリングであります。

「『テトリス・エフェクト』立ち読みPDFを公開しました」
(from 白揚社)



▼佐藤秀彦
『蒸気波要点ガイド(nmpZINE001)』



http://newmasterpiece.tumblr.com/post/162319149663/nmpzine001

 vaporwaveシーンを論じる。まさに画期的vaporwaveガイドZINE(音源ダウンロードコード付)。生きているようで死んでおり、死んでいるようで生きている。だからこそ、ねっとりと気になる……のかもしれない。でもよくわからない。今年は7月にラフォーレ原宿のサマーバーゲンで、そして12月にクロレッツの車内広告で「vaporwave的なるもの」が登場した。vaporwaveはこれからもヌルリと日常に不意に現れ、侵食するのかもしれないし、侵食しないのかもしれない。本書刊行の翌月にリリースされた秀逸なコンピレーション『架空の恐竜展』など、NewMasterPieceレーベルの活動もぜひおさえておきたい。vaporwave is 永遠・・・・・・
また、こちらの記事・論考もお勧めしたい。

「メソッドとしてのジャンル:Vaporwaveの系譜、EccojamsからHardvapourまで」
「vaporwaveがどのようにしてインターネットで作られ、そして、壊されたか。」
(from CAHIER DE CHOCOLAT)



▼和嶋慎治
『屈折くん』

屈折くん
屈折くん
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和嶋 慎治
シンコーミュージック
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 人間椅子のギタリスト、和嶋氏の自伝。かなり赤裸々に書いていて、十数年の苦節の極まったエピソードが続く第三章の「暗黒編」は本書のキモだと思う。すごく面白いのだけど、同時にすごくつらい。でも本当にめちゃくちゃ面白い。また、ツアーで老婆の格好をしてみようと思った頃、アパートの自室から凄い異臭がし始めて訝しんでいると、その下の階で老婆が腐乱して死んでいたとか、バイトの休憩中に感じた妙に熱い視線の主がたまたま同じバイトをしてた毛皮のマリーズのメンバーだったとか、ちょっとしたトピックも多いです。デビュー前後の頃の和嶋氏には「自分は苦労をしていない」ということがある種の負い目になっていて、その頃の焦燥というか不安がひしひしと伝わってくるのだけど、最後は「僕は、人には人として最低限必要な苦労の量があるとして、その分はもう返済しただろうと思った」の境地にまで至っているのが感慨深い。



▼中西敦士
『10分後にうんこが出ます 排泄予知デバイス開発物語』

10分後にうんこが出ます: 排泄予知デバイス開発物語
中西 敦士
新潮社
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 書名に違わぬ面白さとアツさだった。デバイスのシンプルな有用性もさることながら、著者の中西氏の語り口に嫌味なところがないのも、深い悲しみ(留学先で漏らした経験)を知ったがゆえのものなのだろうか。彼の協力者も相当な猛者で、開発チームそのものにアベンジャーズ感がある。便だけに。「便意というのは意識しだすと、常にあるように感じる。非常に感覚的なものなんだね。これまで単なる友達だと思っていた女の子を、一度意識しだすと、好きで、好きで、たまらないという思いにとらわれる。そんな恋心と一緒やね」(P132/中西氏の盟友正森のメール)。その後、排泄予知デバイス開発チームに、“学生時代「一度も席を立たずに女性を楽しませ続ける」ためだけに合コンに常にオムツを穿いて参戦していた”という猛者が加わるというまたスゴイ話が出てくる。



▼吉田勝次
『素晴らしき洞窟探検の世界』

素晴らしき洞窟探検の世界 (ちくま新書)
吉田 勝次
筑摩書房
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 今年一月に扶桑社から出た『洞窟ばか』といくらか重複する部分はあるけど、作業自体は本書の方が先(2015年冬)。筑摩書房が洞窟探検本を出すのは、日本ケイビング協会初代会長だった山内浩氏の『洞穴探検』(1979年に改訂・改題して『洞穴探検学入門』として講談社学術文庫入り)以来53年ぶりだったそうなので、アップデートという意味でもメモリアルな刊行ということになる。吉田氏がウルトラハードコアな洞窟探検家になったいきさつや各地での探検の諸々、そして装備や荷物など、より洞窟探検の細部を掘り下げた内容になっている。洞窟の生態系を壊さないために排泄物は全部持ち帰るとか、洞窟内で発見した遺体を持ち帰った話などのエピソードも満載である。第一章とプロローグ部分は昨年よりWEBで連載されていた「人類未踏地をゆく 世界洞窟探検紀行」を大幅加筆したものなので、加筆前の版は現在もWEBで読めるのよね。ここだけでももう十分面白い。メキシコのゴロンドリナス洞窟(深度約400m)の写真は『洞窟ばか』にも『素晴らしき洞窟探検の世界』にも載っていましたが、この世とは思えないですね。

「Sotano de las Golondrinas」

「人類未踏地をゆく 世界洞窟探検紀行 第1話 怖がりの洞窟探検家」
(from 科学バー)



▼清野茂樹
『1000のプロレスレコードを持つ男』

1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館 (立東舎)
清野 茂樹
リットーミュージック
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 レコードコレクションのヴィジュアルもたっぷりなのはもちろんだけど、周辺にいる人たちとの対談も多いし、ちょっとした、というレベルではない実のあるルポルタージュまである。あとがきで、プロレス音楽を気にしている人は極端に少なくて、関係者への取材でも収穫が得られなかったことも多かったのだけど、でもあきらめきれなかったと書かれていた。わずかな手がかりを求めてひたすら聞き込みや調査を続けた執念のたまもの。面白いところはたくさんあるのだけど、錚々たる演奏メンバー(上田正樹、竹中尚人、渡辺香津美、金子マリ、ミッキー吉野etc)を集めて行われたアントニオ猪木の44歳の誕生日イベント「突然卍がためLIVE」について、ナルチョこと鳴瀬喜博氏に取材を申し込んでいたりもしている。また、『新日本プロレス・スーパーファイターのテーマ』(1979)のプロデューサーだった辺見廣明氏や、変名でLPに参加されていたバッハ・リボリューションの有島明朗氏への取材も。平沢進氏がなぜ演奏名義で「Z.Z.Z.」を名乗ったのかは「たぶん意味はないと思いますよ」というコメントが。藤波辰爾のテーマ「ドラゴン・スープレックス」の、JOE(加藤ヒロシ氏とKING CRIMSONのゴードン・ハスケルとCURVED AIRのジム・ラッセルが組んだバンド)の演奏によるシングル版と、ミノタウロス(淡海悟郎氏のバンド)の演奏によるアルバム版の違いにも触れられていましたね。


「1000のプロレスレコードを持つ男。清野茂樹がしゃべくり倒す偏愛歴」
(from VICE Japan)
「例えばですよ、ぼくが宇多田ヒカルさんのCDが欲しくてレコード屋さんに行ったとします。でも、そのレコード屋さんに、あきらかにカバーだとわかるけど、プロレスレコードがあったら、そっちを買うわけですよ。宇多田ヒカルさんを諦めて、絶対聴かないプロレスレコードのカバーを買うんです(笑)」



▼ジョン・ル・カレ/加賀山卓朗[訳]
『地下道の鳩 ジョン・ル・カレ回想録』

地下道の鳩: ジョン・ル・カレ回想録
ジョン・ル・カレ
早川書房
売り上げランキング: 163,104


 色んな意味で手ごわい内容なのだけど面白い。去年末に邦訳刊行されたフレデリック・フォーサイスの自伝本(『アウトサイダー 陰謀の中の人生』)との読み比べもできるし、両作家のベクトルの違う面白さが堪能できる。序文で、本書のタイトルはル・カレのこれまでの作品に必ずつけられていた「仮タイトル」であったことと、その由来となった出来事が書かれているのだけど、スパイの符丁としての鳩という意味であるのはもちろん、スパイの生きざまをも映した言葉でもあるということがわかって感慨がある。リゾート地のカジノは生きた鳩を囚え、射撃場近くの芝地の下の小さなトンネルを通じて空に飛びだせるようにしている。それはリゾートを楽しむ紳士の射撃の標的にさせるためであり、万一その鳩が生き延びても、習性でカジノの屋上に戻るほかなく、しかもそこにはまた同じ罠が待ち受けている……という。デヴィッド・コーンウェルとしてM15やM16に在籍していた時のことや、同じく元スパイの作家であったグレアム・グリーンとのやりとり(もちろんサマセット・モームへの言及もある)、「親密な裏切り者」キム・フィルビーへの言及などのトピックを彼なりの語り口で満載している。ル・カレの息子であり同じく作家であるニック・ハーカウェイの『エンジェルメイカー』(傑作)で描かれた父と息子の関係性は、ニックとル・カレの関係というよりも、ル・カレと彼の父親(詐欺師だったという)の関係をモチーフにしていたのかしらんと、『地下道の鳩』の終盤の章を読んでいて思わなくもない。そして9月(邦訳版は11月)には、〈ジョージ・スマイリー〉ものの最新作『スパイたちの遺産』が出た。こちらはまだ読めていない。読みたいのはやまやまなのだけども。



▼プルタルコス/森谷公俊[訳]
『新訳 アレクサンドロス大王伝』

新訳 アレクサンドロス大王伝
プルタルコス
河出書房新社
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『興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話』『アレクサンドロスとオリュンピアス 大王の母、光輝と波乱の生涯』の森谷氏によるプルタルコス英雄伝の抜粋訳。プルタルコス英雄伝からアレクサンドロスの記述のみをぶっこ抜いて出したものの前例では、平野レミの父上である平野威馬雄訳による『アレクサンダー大王』(1958年/実業之日本社)があるので、つまるところ約60年ぶりの新訳ともいえる。本書は訳注が本文の3倍ある大変な労作の訳注本で、その他の著者による大王伝とも徹底的に比較し、森谷氏のこれまでの著作を踏まえた上で、かつ、非常に読みやすいつくり。超面白い。解説にもあったけど、プルタルコスの大王伝は軍事史や戦争史の材料として使うには難があるのだけども、幼少時のエピソードも含めたアレクサンドロスの等身大の人物像と歴史的状況の活写が抜群なので、プルタルコスがいかに優れた洞察力を持った伝記作家だったかということにも改めて気づかせてくれる。まとまった形で現存する五編のアレクサンドロス大王伝(プルタルコス、アリアノス、クルティウス、ディオドロス、ユスティヌス)にはさらにそれぞれに原典(※)としたものがあって、誰がどれを主要典拠にしたのかについても前書きで書かれている。なお今年はもう一冊『アレクサンドロス大王 東征路の謎を解く』も刊行されており、森谷氏の集大成の年だったと思う。

(※)
アリストブロス(東征に同行した建築家・歴史家)
オネシクリトス(犬儒学派のディオゲネスの弟子)
カリステネス(アリストテレスの姪の子)
ネアルコス(大王の海軍提督)
プトレマイオス(大王の重臣。のちプトレマイオス朝初代ファラオ)
クレイタルコス(プトレマイオスの庇護下の歴史家)



▼ミシェル・ウエルベック/星埜守之[訳]
『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』

H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って
ミシェル・ウエルベック スティーヴン・キング
国書刊行会
売り上げランキング: 6,643


http://camelletgo.blogspot.jp/2017/12/lovecraft-houellebecq.html
 センセーショナルで挑発的な作風で知られる「どこかいけすかなさげなオッサン」ウエルベックと、宇宙的恐怖小説のひとつの祖となったラヴクラフトにいったい何の共通点があるのか? という疑問は、本書を読み終えるころにはすっかり氷解する。ウエルベックのある種のナイーブさを垣間見た気もして、これまでにない「好ましさ」をおぼえた一冊。



▼シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓[訳]
『重力と恩寵』

重力と恩寵 (岩波文庫)
重力と恩寵 (岩波文庫)
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シモーヌ・ヴェイユ
岩波書店
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 渡辺義愛訳の春秋社版(1968年)、田辺保訳の講談社文庫版(1974年/1995年に ちくま学芸文庫入り)以来の新訳であり、新校訂版からの訳。徹底して妥協を排した思想の過程・断章ともいえるし、アフォリズムともいえるし、今風にいうならパンチラインともいえるかもしれないのだけれども、そもそも著者の死後に友人によって編集・サンプリングされた本書に「読み方」など存在しないのではないかとも思う。しかし人間でありながら人間でないものを目指そうとした、「真空状態」の志向・思考は今なお刺さるものが多い。

「われわれを神に近づけぬような科学にはなんの価値もない。とはいえ……(われわれを不適切に近づける、すなわち想像上の神に近づけるのなら、さらに良くない)。」(「幻想」)

「肉体労働。身体に入りこむ時間。聖体の秘蹟を介してキリストが物質になるように、労働を介して人間は自身を物質にする。労働は死に似ている。」(「労働の神秘」)

「この世界にはなんの価値もない、この生になんの価値もない、とうそぶき、その証左に悪をもちだすのは愚の骨頂だ。それらになんの価値もないのなら、悪はそこからなにを奪うというのか。」(「不幸」)

「ジャンヌ・ダルク。今日、彼女を大仰に弁じたてる人びとも、当時に居合わせていれば、ほぼ例外なく断罪する側に回っただろう。もっとも審問官たちは、聖女または祖国のために戦う乙女ではなく魔女を断罪したのである。
 あれやこれやの誤った読みをもたらす「原因」。世論はきわめて強力な原因となる。もろもろの情熱も。
 ジャンヌ・ダルク。その物語のうちに当時の世論が命じたものが読みとれる。ただ、ジャンヌ自身にも確信はなかった。キリストは……。」(「読み」)



▼ホルヘ・ルイス・ボルヘス/鼓直[訳]
『アレフ』

アレフ (岩波文庫)
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J.L.ボルヘス
岩波書店
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 篠田一士、土岐恒二、牛島信明、木村榮一に次ぐ本邦五つ目の訳(※)であり、ボルヘスⅤが成された。『伝奇集』と対になるカバーであり、青の若ボルヘスと赤の老ボルヘス。ビートルズでいうなら「赤盤」「青盤」といったところ。「ザーヒル」(一度目にしたら意識せずにはおられなくなる「対象」)、「アレフ」(すべてが内包された「球体」)の話など、やはりたまらないものがある。また、内田兆史氏による解説も素晴らしく非常に読み応えがあるので、「既に別の版で持ってるからいいや」という向きにもよいと思いますね。値段も手ごろだし。だいたい定食一食分。ボルヘス定食。

(※)
篠田一士訳『世界文学全集』集英社/1968年
土岐恒二訳『不死の人』白水社/1968年
牛島信明訳『ボルヘスとわたし 自撰短篇集』新潮社/1974年
木村榮一訳『エル・アレフ』平凡社/2005年
(NEW!)鼓直訳『アレフ』岩波書店/2017年



▼ジーン・ウルフ/酒井昭伸[訳]
『書架の探偵』

書架の探偵 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
ジーン ウルフ
早川書房
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 今年で御年86歳を迎えたウルフが2015年に発表したSFミステリ作品。島の博士に嘆願したり、幻覚剤入りの菓子を食ったり食わなかったりなどはしていない。ここでは、“蔵書”ならぬ“蔵者”、本ではなく、昔の作家のクローンを貸し出すという秀逸なアイデアのもと、パルプSFのエッセンスが散りばめられた「クラシックな」装いのストーリーを展開しており、これがまた素直にエンターテインメントしている。ウルフ本人が読み手に対して何かしら意識しているのかしていないのかはともかくとして、読み手は“騙り”の巧者がまっとうに軽みのあるエンタメを書いているというところに、ある種の翻弄され、眩惑をおぼえることになる。いくらかの食い足りなさはあるのだけど、第二作の予定があるそうなので、シリーズものと思えば割と腑に落ちる。



▼ダグラス・アダムス/安原和見[訳]
『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』

ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所 (河出文庫)
ダグラス アダムス
河出書房新社
売り上げランキング: 11,651


 原書刊行から30年目の邦訳。Netflixでドラマ版が配信されたことが追い風になったと思うのだけど、結果的にアダムスが敬愛していたプロコル・ハルムの活動50周年の年に邦訳が成されたというのはなんというか感慨深いものがある。電動修道士やコールリッジがどうのと前半はとにかく困惑するのだけど、リチャードとダーク・ジェントリーの凸凹コンビのやりとりや、節々からダダ漏れするユーモアは銀河ヒッチハイク・ガイドのあのノリだし、長々と描かれてきたアレコレが最終的に全体論的に収束するのは愉快きわまる。まずは一度読みとおすのが肝要です。二度目に読むとびっくりするほど見通しがスッキリします。なんだか「ドクター・フー」っぽいなと思ったらやはり自作脚本の焼き直し的な面もあったようで、訳者あとがきを読んでなるほどなと思った次第。あっちとこっちでいかにしてアイデアを使ったか、または取っておいたのかということも垣間見えるのも面白いと思います。


「30年間お待たせ! ダグラス・アダムスの傑作「ダーク・ジェントリー」が今まで翻訳されなかったワケとは?」
(Web河出)



▼ラフカディオ・ハーン/河島弘美[監修]、鈴木あかね[訳]
『ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本』

復刻版 ラフカディオ・ハーンのクレオール料理読本
ラフカディオ・ハーン
CCCメディアハウス
売り上げランキング: 98,321


http://camelletgo.blogspot.jp/2017/05/lafcadio-hearn-creole-cookbook.html
 古書価万単位がザラだった1998年の阪急コミュニケーションズ版から19年目の復刻、感慨深し。ハーンがニューオーリンズで新聞記者をやっていた頃に現地の人から聞き書きで集めたレシピをまとめた本で、分量や作り方は超大雑把なのだが、そこがまた味わい深い。亀や蛙やザリガニ料理のレシピなどもある。クレオール文化の多様さが伺える一冊です。実践する/しないに関わらずオススメしたい。




 そのほか。ロアルド・ダールの「牧師の愉しみ」「南から来た男」のオマージュを巧みに織り交ぜたを表題作ほか、落語とミステリの愉快なマッシュアップを展開した、山口雅也『落語魅捨理全集 坊主の愉しみ』。警察小説のさらなる高みへとのぼっただけでなく、主要キャラ二人の激エモな関係性がひとつのターニングポイントをみせた巻でもある、月村了衛『機龍警察 狼眼殺手』。三作目らしいクセ球であり、一作目を書いたからこそ書けるネタをカマしてきた、澤村伊智『恐怖小説 キリカ』。数十の断片から世界を垣間見せる。それでいて、過去作でみたようなエッセンスがそこかしこに。ある意味でベスト・オブ・ウラジミール・ソローキンといえる『テルリア』。ある意味ベスト・オブ・クリストファー・プリーストであり、単体としても楽しめるのだけれども、過去作を読めば読んでいるだけさらに魅力が倍化する『隣接界』。筋金入りのストロング作家の手腕はノンフィクションにおいてもまた見事であると知らしめた快著、チャイナ・ミエヴィル『オクトーバー 物語ロシア革命』。そのミエヴィルのトリビュート同人誌であり、握手会、観光資源、死者、アヒルちゃん、バナナ、拡張現実、大蜘蛛、文字/言語などを介してやってくる虚構と奇妙が“ミエヴィリティ”を高らしむる、サ!脳連接派『チャイナ・ミエヴィル・トリビュートアンソロジー』。早く「第IIコロニー」をと願わずにはおれない、異色のきのこアンソロジー『FUNGI 菌類小説選集 第Iコロニー』。多岐にわたるアーティストの自伝というのは活動を追う上でも貴重な資料となるということを実感させられる、デヴィッド・トゥープ『フラッター・エコー 音の中に生きる』。2016年に世を去られたヴァイオリニストが1995年にジュリアード音楽院に提出した博士論文「音楽における悪魔の描写」の全訳であり、音楽に潜む悪魔、メフィストフェレス、そして死を、多数の譜例とともに浮かび上がらせていく、若林暢『悪魔のすむ音楽』。超濃厚なコンテンツぞろいで、改めてフジタ氏の魅力に迫った『漫画家本vol.1 藤田和日郎本』。インタビューはもちろん、杉山圭一氏とhally氏によるゲーム・ミュージック史の数十年を俯瞰した対談など充実のゲームミュージック特集号『キーボードマガジン2017年夏号』。ルネサンス期の詩人ルドヴィコ・アリオストへの敬愛と、彼の長編叙事詩『狂えるオルランド』へのオマージュを織り込んで書いた寓話的騎士道譚である、イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』(復刊)。古き良き空想科学エンタメストーリー、主人公のべらんめえ調や黎竜四郎の「ップローバ!」等の独特のスラングまじりのセリフが小気味良い、国産長編SFのパイオニア、今日泊亜蘭『光の塔』(復刊)。タテ26センチ、ヨコ18センチ、厚さ5センチのモンスター書籍であり、スパイに関するあらゆる用語を集成した、ノーマン・ポルマー&トーマス・B・アレン『スパイ大事典』。スパイ小説の古典であり、人間の機微である、サマセット・モーム『英国諜報員アシェンデン』(新訳)なども挙げておきたいです。



 最後に、私事ですが、今年はライターとして雑誌寄稿をポツポツとやりました。バックナンバーを書店で目にすることはあまりないでしょうが、図書館などで機会があれば読んでみてくださいな。




ミステリマガジン2018年1月号「特集:ミステリが読みたい!」に、2017年周辺ジャンル総括記事を寄稿しました。




ミステリマガジン2017年11月号「幻想と怪奇 ノベル×コミック×ムービー」にコラムを三本 寄稿いたしました




ミステリマガジン2017年9月号「シャーロック・ホームズ & コリン・デクスター」特集にディスクガイドを寄稿いたしました




ミステリマガジン2017年7月号特集「このミステリ・コミックが大好き」のコミックガイドに参加&コラムを寄稿いたしました




ミステリマガジン2017年5月号【北欧ミステリ特集】に「北欧ミステリDISC SIDE A&B」を寄稿いたしました