2017年12月20日水曜日

ミシェル・ウエルベック『H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って』

H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って
ミシェル・ウエルベック スティーヴン・キング
国書刊行会
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http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336061775/


 ミシェル・ウエルベックによるH・P・ラヴクラフト評論本の邦訳([訳]星埜守之)が国書刊行会から11月末に刊行された。『闘争領域の拡大』の3年前、1991年に刊行された実質的なデビュー作であり、ずっと気になっていた一冊。邦訳はまさにサプライズであり、一足早いクリスマスプレゼントであり、発売するやいなや飛びついたという次第。帯に「熱烈な偏愛」とあるように、いわゆるアカデミックな評伝本とはまったく違う、思い込みと断定がそこかしこにありながらも、若書きのウエルベックのエモーションが静かに熱くこもった一冊になっており、ラヴクラフト作品を読むひとつの格好の手引きともなっている。また、自身もかつて『死の舞踏』という変則的恐怖小説論(奇しくも今年、筑摩書房から文庫で再刊された)を著しているスティーヴン・キングによる序文「ラヴクラフトの枕」が、“前口上”として見事な潤滑油となっていて、ウエルベックの論考のアンバランスさを認めつつも、その命題に確たるものを感じ取っているところも見逃せない。「ミシェル・ウエルベックの言う結論や推断の幾つかについていくら不満があるにしても、わたしは彼の中心的な命題、すなわち、ラヴクラフトの作品が世界と人生に抗っているという命題を一度たりとも疑ったことはない」(P17)

 第一部「もう一つの世界」でウエルベックはまず、ラヴクラフトの作品に、「なにか」を見出そうとする。「まさに衝撃そのものだった。文学にそんなことができるとは知らなかった。その一方で、いまだに本当にそうだとは納得していない。実のところは、文学ではないなにかがラヴクラフトにはある」(P49)。そして第二部「攻撃の技術」では、ラヴクラフトが1920年代中盤に書いたエッセイにして恐怖小説論「文学における超自然の恐怖」を再読して「少々期待外れである」「やや時代遅れにさえ感じられる」「単純な話だが、彼はラヴクラフト本人の怪奇幻想物への貢献を勘定に入れていない」(P67)、「怪奇幻想物の分野でかつてなされたことをすべておさらいした上で、根本的に新しい道に踏み込むことでこの分野の枠を粉砕しようという欲求を感じたのである」(P68)と述べる。しかし自分は、本作も「文学における超自然の恐怖」も、どこか共通するものがあるのではないかと思わなくもない。ラヴクラフトが過去の恐怖小説を読み直し、やや断定と思い込みも含みながらも論じ、自分なりに消化したことでその後 新たな傑作群を生み出していったように、ウエルベックも、ラヴクラフトという存在を偏愛をたっぷりとこめて「おさらい」したことで、その後 本格的に小説の世界へと足を踏み入れていったと考えれば、これほど微笑ましいこともないような気がする。第二部の中盤からは、ラヴクラフト作品における徹底されたエロティシズムの排除や、情動的な概念にもとづく「夢」の建築。登場人物の意図的な「平坦さ」などについて歯切れよく語ってゆく。「彼が耳を貸す感情は、驚嘆と恐怖の二つだけだ」(P91)。



文学における超自然の恐怖
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 そして第三部「ホロコースト」では、まず「反伝記」と銘打ち、ラヴクラフトの生活苦や短い結婚生活、ニューヨークでの苦渋と困窮、そして彼自身の内面の憎悪へと足を踏み入れてゆく。社会への憎悪・嫌悪・恐怖、人種への憎悪が、礼儀正しく親切なラヴクラフトという人間のコントラストであり、創作の分かちがたい要素でもあったということ。「つまり、現代社会の進歩が、ラヴクラフト的な恐怖症をいっそう存在感のある、いっそう生々しいものにしてきたという事実である」(P194)。彼の多くの弟子たちとの明確な違いなどを浮き彫りにしてゆく。「ラヴクラフトの影響圏に直接的に結びついている作家たちのなかに、師の人種主義的で反動的な恐怖症をわが物にした者は誰もいない」(P195)。このあたりまでくると、ウエルベックの語り口は熱量をさらに帯び、半ばラヴクラフトと同化しているような錯覚すらもおぼえる。最後に、彼は世界にも、人生にも抗い、そして使命をまっとうして世を去ったのだとして、論は締めくくられる。なんら偽りのない偏愛がパワフルに吐き出される。なお、巻末にはウエルベックお気に入りのラヴクラフト作品が数点挙がっている。なかでも、高密度な情報量を孕んだ36の連作十四行詩編「ユゴスの黴」が入っているところが個人的に琴線に触れた。センセーショナルで挑発的な作風で知られる「どこかいけすかなさげなオッサン」ウエルベックと、宇宙的恐怖小説のひとつの祖となったラヴクラフトにいったい何の共通点があるのか? という疑問は、本書を読み終えるころにはすっかり氷解しているだろう。ウエルベックのある種のナイーブさを垣間見た気もして、これまでにない「好ましさ」をおぼえた。

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